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けれどもその灰燼の奏でる調べはいつもと変わらずうつくしかった。
轟々と失われたものへ愛と悲しみ、憎しみと怒りとを糧に燃え、誰にも出せない修羅の音を響かせていた頃のように。あの凄絶な音色が絶えてしまった後でも十二分に。
それが高杉晋助の恐ろしい所だ。
煽動者。
その価値が残されている。まだ血塗られた道を行ける。灰が土に帰るその瞬間まで。或いは全くの無に帰した後にも彼の名は十分な威力を発揮するだろう。彼は不朽の階を登ったのだ。
そのことを高杉も重々承知している。
そしてこの異能はこれから起こる揉め事を、万斉が行おうとしている企みを正確に予見している。
「晋助は立派な旗頭になるでござろうが、晋助はもう逃げ切れぬよ」
もっとも万斉の見る所、このうつくしいことを好む総督は蜘蛛の編む、銀の糸に捉えられたがっていたように思える事があった。絡めとられた今の境遇を不本意と感じていても、この場所に抗いがたい力を感じ、安らいでいるのは瞭然だった。
「逃げる?」
晋助は全くの心外だと顔を顰める。
自分から、戦場から逃げたのは白夜叉だとまだ思っているのだ。対して自分は逃げることだけはしていないと。
万斉は笑う。
この場所を去ると高杉が決意する日が来たとしても、高杉は堂々と出ては行けまい、家主の許可も得ないまま忽然と姿を消すに違いないと思えたからだ。白夜叉の意思に反することを、正面切って押し通す力が残されているだろうか。そうは思わない。高杉は負けている。
「晋助はとうとう捕まったのでござる。白夜叉の勧めた薬を飲んだ日から、晋助の命も体も白夜叉のものでござる。心はずっと前からであったが」
高杉は気付いていなかっただろうが雪火の薬、あれは毒そのものだった。高杉を動けなくする毒。白夜叉に屈服させる劇薬だ。復讐のために命を惜しんだのならまだ良かった。だが高杉がそれを服用したのは白夜叉の為だった。高杉が彼の手を取り、白夜叉が高杉を捉えた瞬間だった。
だから快方に向かっていても高杉はここを出ようとはしていない。自ら手足たる鬼兵隊を投げ出したまま取り戻そうともしていない。
「そんなことはねぇ。俺は俺のものさ。昔からな」
バチを下ろしながら、高杉は否定した。
身も心も血と復讐と戦いに捧げていたという。自分は自分自身のものだと。だれも心に住んでいなかったと。
(大人は嘘つきでござる。とりわけ晋助は)
確かに高杉は戦い続けてきた。自分の心の命じるまま、声にならない怒りをぶつけた。憎しみに純化された目で世界を睨みつけていた。暗くこびりついた痛みを抱えながら刃を振るった。
だがそれは常に他者のためだった。
吉田松陽のため。
殺された鬼兵隊のため。
彼らの復権が己の才覚を見いだし、生き残ったものの義務であり責務だとどこかで思っていなかっただろうか。彼の出発はテロリストではなかった。憂国の志士。それが権力の側からそう変貌させられたのだ。
しかしテロリストのレッテルはあまりにも簡単に高杉の身に馴染んだ。
(晋助には不幸なことだが)
復讐を遂行する以外に、白夜叉などはもっと相応しい身の処し方が、穏やかな生き方ができたと信じているようだったが万斉はそうは思わない。詩も歌も奏者としても優れていたが、彼の能力の最たるものは軍略だ。それを見いだしたのが吉田松陽であるならば、余計に高杉はそれを使わないわけにはいかなかっただろう。
小さな頭に詰まった知略を世に現さないわけには。
天の采配だ。吉田松陽に出会った事が彼の運命の始まりだった。
望んで鬼才に生まれついたわけではないだろう。
だから今の生活に不安はあっても不満はない。罪悪感はあるだろうが、それさえなければ高杉は幸福でいられる。
「では誰を思っていたでござるか。吉田松陽殿でござろうか? 本当にそうだったら、晋助は今頃ここにいなかったでござる」
万斉は昔の高杉の事を知らない。攘夷戦争に参加する前も、攘夷党に属して鬼兵隊を率いていた時の事も。ただ彼の昔の知己から聞いた範囲では、高杉はまだ正常だったという話だ。狂ってはいなかった。松陽を失った後でも高杉は生きて強い信念のもと刀を揮っていた。誰もが知る侍だった。
「じゃあどこにいたって?」
「晋助はとうに地下のものだったでござろうよ。ぬしを生かしたのは白夜叉だった」
生きていろと白夜叉が望んだからだ。自分の大切な物は守ると傲慢に実行していたからだ。
鬼兵隊が壊滅した後、ようやく高杉は壊れたらしいがそれでも高杉は生きていた。
生命力の強さとは思わない。確かに高杉は強いが、彼の強さは身体の強靭さから来るものではない事は分かっている。
彼の強さは精神の強さ。吉田松陽が教えた志の強さ。それが折れた日からは白夜叉のかけたその呪いが高杉を生かした。
今はどうだ。
幕府は倒れた。天命は果たされた。運命が用意した重い軛から解き放たれた。
その証拠に何もない。
何の望みもない。
だからこれは尽きた灰なのだ。
ただの燃え殻でも白夜叉には愛しいのだろう。生きて傍にいればそれで。だから高杉は天から用済みにされた後にもこうして生きている。白夜叉に生きろと呪われたまま。
本音を言えば連れて行きたい。
高杉もまだ迷っている。止める言葉を口にしたくはない。
生きてただ傍にいればいいと愛でる為だけに飾っておきたい銀時と違い、万斉はまだ高杉を利用できた。高杉晋助にしかできない価値を与えられる。残酷だった運命のように戦い続けろと言えた。無力に死んだ吉田松陽、旧鬼兵隊のようにそちら側に背中を押すことができる。
「次の祭り、おぬしは大人しく見ているでござる」
しかし毒を盛られるたのは万斉も同じなのだ。
万斉は高杉を説得し、生き残る可能性に賭けさせることができなかった。
それが出来ていれば高杉の今後にもまだ介入の余地はあっただろう。だがそれを勧め、飲み込ませることができたのは白夜叉だけだった。
白夜叉だけが高杉が自分をおいて死ねるわけがないと信じて実行した。
あの時に万斉は高杉に関する総ての権利を失ったのだ。
気付けば万斉はおらず、高杉は布団の中にいた。途中で眠ってしまったのか。結局四曲ほど弾いたのは覚えているし話もしたが、万斉を止める言葉は口に出来なかった。
まあ、どの面下げてこの口が止めろとか言えるのかという問題もあった。高杉はこれまで本当に好き放題して生きてきた。
人生は短い。急がなければ何も成さないうちに死んでしまう。それを悟った時にやりたい事しかしないと決めた。
万斉にもそんな焦燥があったとは思わないが男が一度決めた事を翻しはしないだろうとも思った。
誰にも自分の命をどう使うか決める権利があるだろう。そのために捧げられる犠牲について高杉は斟酌しない。倫理や道徳からはとうに自由だ。
しかしそれは万斉の命を諦める事だった。遠からずあれは死ぬ。一年か、二年か。似蔵や多くの人間を巻き込んで惨たらしく死んで行くだろう。本来それは高杉の役目だったはずだ。
(望みはないと思っていたが、そうでもない…)
生きれば生きたでやるべきことができる。それもいい。銀時に救われてしまったのだ。どうせもう死ねない。
(やっぱりお前のためには生きれねぇよ、銀時)
高杉は布団から身を起こす。そして和室の襖を空けた。
(お前らと同じに)
「起きたか」
ソファーで桂が茶を飲んでいた。
「ああ」
訪ねて来るものは部下である場合もあれば、かつての支援者だったりもする。高杉は療養のため一線から退いた形だが、新政府とのパイプも太い。その伝手を頼って便宜を図ってほしいという者が来る場合もあったし、そのパイプ自体がやってくることもあった。
つまりこのヅラだ。
それにしてもいつからいたのだろう。
この副作用のどうしようもないところは人の気配があっても容易に起きれないことだ。常体の高杉にはありえないことだ。敵意にさえも鈍い。寝込みを襲われることもしばしばあるのでなんとかならないものかと思う。どうにもなりはしないが。
「何か用か? 銀時ならここのところずっと忙しがってるぜ」
雪火はまだ収まらない。万事屋はその予防対策で名を上げたから以前よりもずっと広範囲に頼りにされるようになっている。桂もそのことを知っているはずだ。
「知っている。お前の誕生日は二人きりで甘い夜を過ごすとかほざくのでな。前祝いにきた」
「あ?」
本人の了解も得ずにそんな根回しがされていたのか。どうりで万斉も先に三味線を持ってきたわけだ。当日は銀時の独り占め令が発されたわけか。そうか。
ふるふるしている高杉の空気を読まずに桂は桂なりの祝辞を続ける。
「お前ももう二十八になるか。憎まれっ子世にはばかると言うが、しぶとくてなによりだ」
わざわざそんなことをいいに来たのか。
これが前祝いだというのだから呆れる。
銀時以上に忙しいはずなのにご苦労なことだ。高杉は皮肉で返した。
「その理屈で行くならお前の命もまだまだ安泰か」
ヅラはふふんと鼻で笑った。
「当然だ。俺が志半ばで死ぬわけがない。ところでなにか欲しいものはあるのか。なければ政府にお前の席を」
「止めろ」
この流れ、銀時とそっくりだ。いやな所が似てやがる、と思いながら高杉は言った。
「だがいずれお前は必要になる」
「その気はねぇ」
「それはあれか。銀時と離れたくな〜いとかそういうのか?」
「殺すぞ」
桂はやれるものならやってみろといわんばかりに茶を啜った。やらないと分かっているのだ。高杉が本気だったら今頃窓を蹴破って逃げているころだろう。
確かに口をつぐませれば良かったので高杉はしばし黙考する。
代案を出さなければ本当に具体的なポストを用意してまたやってくる。実行力はある男だから。
「なら墓を建てろ。出来れば先生の隣に」
「なんだ。この期に及んで貴様死ぬのか」
高杉はにやりと笑った。
おそらく高杉はこの副作用にも打ち勝つ。そうなればまだ暫くは生きるだろう。やるべきことも見えてきた。あの粛正から生き延びたように、高杉はまた生きる理由をみつけた。何処まで生き汚いのだろう。それをおかしく思いながら、高杉は考える。
このまま生きるなら死ななければならない。
攘夷粛正におりには生死不明で暫く雌伏していたが、今度は完全に。そうすれば高杉は自由に動ける。
「高杉晋助を生かして置いてもろくな事にはならねぇからな。春雨との密約もある。俺が死に、鬼兵隊もなくなれば、知らぬ存ぜぬでばっくれられるだろう」
それを聞いたヅラは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「…。…お前春雨に一体何を約した? 吐け。吐いてしまえ!」
「おっと、そいつはいえねぇな。つか聞いたらお前しめぇだよ。世の中には知らなくていい事がたくさんあるんだぜ?」
知らなくていい事にばっかり首を突っ込んできたくせに何を言うか。全くお前と来たら。本当にそれで済むと思っているのかとヅラは延々と説教をはじめた。
今更高杉を説き伏せようなどとヅラも相変わらず諦めが悪い。
「大丈夫だろ。春雨には銀時の伝手がある」
「うむ?」
「どうせ夜兎の師団長あたりが進んで来るだろ? 銀時と遣り合えれば奴さんはそれで満足だから、他の事なんかどうでも良くなる」
「お前、相変わらずえげつないな」
幾ら銀時でも夜兎相手に無傷ではすまないぞと思いながら桂は言った。銀時もどSだが高杉も負けず劣らずだ。ただ高杉の場合は手段を選ばず効率だけを考えている結果であって、銀時のように苦痛に歪む顔が見たいとかそういう自分の娯楽が目的ではないだけだ。
「銀時に否やは言わせねぇよ。自分で守るって言ったんだ。それにあいつはそういう時は絶対負けねぇからな」
つまり怪我くらいはするかもしれないが、何かを守ろうという銀時は十二分にその強さを発揮するので、夜兎相手にも遅れは取らないし、だから死ぬ心配はないということだ。しかし。
「お前…」
高杉は高杉で銀時をちゃんと愛していて死なないように気を配っているつもりらしい。らしいのだが。
「常々思うが気を使う所が違うんじゃないのか?」
「あ? お前に言われたくねぇよ。電波」
さんざん罵り合ったが望み通りの墓は建ててくれるそうだ。先生の隣に。
「ついでに法要は芸者を呼んで三味線でにぎやかに」
「するか、このうかれぽんちが調子に乗るんじゃない。素直に礼を言うのが先だ」
高杉は肩をすくめる。だがたしかに先生の隣はうれしいので昔のように無邪気を装って笑いかけた。
「うれしーぜ、小太郎。ありがとな」
「…。…この魔王が」
人をたらす時のとは違うヅラ好みの笑顔のはずだったが何でかそういわれた。臥せっている間に腕が落ちたのだろうか。おかしいなと思いながら高杉は首を傾げた。
うちの万斉は淡々と思い込みが激しい感じ。
総督は漢で魔性。
「勝手なことを言っているのは承知している。だが高杉を貸してほしい」
来たよ。とうとう正攻法だよ。
銀時はうんざりしながらエリザベスがいれた煎茶を飲んだ。目の前ではヅラが頭を垂れている。
これ断ったらどうなるの? もしかしてご両殿さまがくるんじゃねーの。止めて。おれそーいうのとか関係ないから。超迷惑と内心思いながら一応聞いてみた。
「ってもよー。戦争だろうが?」
これで高杉ファンのお偉いさんの接待とかでも駄目だけどな。
「そうだ」
やっぱりな。
しかし銀時は二度と高杉を戦場に送る気はなかった。狂気が高杉を侵す、そんな光景をもう二度と見たくなかった。
なりを潜めたからといって、安心は出来ない。白夜叉もまだ銀時の中にいるのだ。高杉の魂を食い破ってあれが出てこないとしても、思い出させたくない。完全に忘れさせることができなくても。
「だが理由がある」
高杉が雪火で戦線離脱した後も幕軍との戦いは続いている。江戸無血開城がなったのがこの春。だがその後にも宇都宮で、上野で血は流れた。主戦場は北へ北へと江戸から離れて行ったが、決着はまだついていない。この八月にようやく北越戦争が決着。総督不在のまま戦い続けていた鬼兵隊は解散した。
だがそれは鬼兵隊一隊のことだ。新政府軍として組み入れられている諸隊はまだ東北にいた。
「戦いは終わっていない。誰も矛をおさめない。おさめられない」
「復讐か」
幕府に変わり新しい日本をつくるというだけではない。恨みが、憎しみが戦いを止められない。
「俺自身だとて、復讐を考えないわけではない。他の者では余計に。しかし、高杉なら」
それこそ命を賭して身を捧げかけたカリスマの言うことなら聞くだろうと。
「鬼兵隊総督は死んだんだぜ」
それまで黙って聞いていた高杉はそう言った。
この戦いの口火を切った男。血と戦いに彩られ、常に屍の山の上で常に復讐を叫んでいた高杉が。
「その報告に来たんだろ?」
そう。桂は今日、高杉晋助の墓が出来上がったと報告に来たのだ。墓は萩にある先生の隣に遺髪墓として建った。本当の先生の墓の隣は既に埋まっていたからだ。
それにあわせて高杉は名を改めた。
坂田晋助になればいいのに、高杉は高杉春風、になったのだった。潜三でも梅之助でも好きにすりゃいーじゃんと拗ねていたところだったのだ。
まあどうせ高杉もしくは晋ちゃんと呼ぶけども。
「今度は長州が恨みを買う」
「因果応報。結構なことだ」
元々復讐の他に両者の共倒れを狙っていた節のある高杉は淡々と凄惨なことをいった。銀時にあわせようとしてくれているが、そう簡単に人は変わらないものだ。
だからこそ銀時の心配は尽きない。
実際桂は故郷とそこに属する人々を真に案じているが、高杉自身はどうなろうが知ったことではないのだ。一部の信頼できる者の他は。掌を返すように高杉を裏切った者もいる。
それ故に高杉は言ったのだ。
艱難は共に出来ても、富貴は共に出来ないと。
「高杉」
「おれが言った所で、戦いは終わらねーよ。早く終わらせることはできるかもしれねぇけどな」
早く。被害を最小に。それは敵をたたき潰す、ということだ。
「それでもいい。いつまでも日本を分裂させておくわけにも行かない。これ以上もめていては天人に付け入れられる恐れもある」
「万事屋は中立なんだけど〜」
といってみたが、桂は意に返さなかった。お前は中立というよりグレーゾーンだろうと。真選組にも攘夷党にもどっちも足突っ込んだり首突っ込んだりしていて良くいう、と。
「おれから関わったことなんかねーだろ! いつもお前たちが勝手に巻き込むんだり押し掛けたりするんだろ! 仕事とかいってちゃんと払わねぇし! あ、なんか腹立ってきた」
銀時がごねごねしてたらおもむろに桂が背筋を伸ばした。
「無論、タダとは言わん」
「おれはたけーぞ」
ふんぞり返って言う高杉に社長というより旦那として注意する。
「やめて、高杉。その台詞、身売りみたいで卑猥だから。幾ら積まれたってお前は売らねーよ?」
そりゃあ確かに現金は魅力的だけど。それより金があるなら以前踏み倒した分を払え。エリザベス探しとか手伝ってやったじゃねーかよ。本物じゃなかったけど。
「これは政府の金だから駄目だ。それより高杉、ほんとにこの天パに義理立てしなければならんのか?」
身売り云々の妄想に顔を顰めて桂が忠告する。余計な世話だっつーの! 高杉が真に受けたらどうするんだ。
しかし高杉は
「なんだよ、お前だって銀時とくっつけとけば被害が減ると思ってる口だろ」
というのにとどめた。
何しろ高杉は魔王なので、何をしでかすか分からない。そういう認識でいるのだ。だが銀時の傍に置いとけば矛先は銀時に向くし、人様に迷惑をかけそうになったら銀時が止めるだろう、旦那だしと思っていたことは明白だった。
「流石に不憫だ。金なら言い値で払う。独立したらどうだ?」
「はいはい、やめやめー。ヅラ、お前、おれに頼み事しにきたんなら、そう言うこと言っちゃだめだろう」
「ヅラじゃない桂だ。だが確かに将を射んと欲すれば馬を射よを実践しにきたのだった。エリザベス」
すっとエリザベスが風呂敷から桐箱を取り出した。これが一昔前なら二重底になっていて小判が入っているのだろうが、万事屋は金では動かない。
動く時もあるけど、高杉に関してはガードの固い社長なのだ。
しかし出てきたのは燦然と輝かんばかりのムース・オ・フリュイ。ワンホール。
「一流パティシエに特注させてみた。これらパティシエ自慢の一品をその都度届けさせよう」
並んでも買えない元将軍家御用達のアントルメである。だらーっと唾がこみ上げた。こみ上げたが、もちろんこんなもので高杉を貸したりやったりできるはずがない。やってみろ高杉が怖い。
「ムムム無理無理無理! 駄目! け、ケーキなんか銀さん自分で作れるもんね!」
「そうだ。これ以上銀時に甘味を与えるな。本物になる」
「高杉」
体の心配をしてくれる高杉にじーんとする。しかし空気を読まずにぶち壊すのが桂だ。
「そうか。そんなに不能になられるのが困るか」
「誰もそんなこと言ってねー」
別にそう言う意味でもいいけどね。今日も頑張るだけだから。と思う銀時を他所に桂は続ける。
「では別にいいだろう?」
そう言いながら、エリザベスからフォークを受け取ってぐさりとケーキを抉りとると高杉に握らせて、はいあーん、などとやった。
桂がさせていることだとしても、夢のはい、あーんだよ!!?
これに食いつかないヤツがいたら男じゃねーとつい、ぱくっと。
「あっ、莫迦」
「食べたな」
にやりと笑って桂はエリザベスと顔を見合わせた。
『食べましたね』
とエリザベスの看板が掲げられる。
だってだって夢だったんだもん。高杉がさっさとやってくれてたらおれだってもう少し辛抱できたかもしれないよと銀時は高杉の膝に突っ伏しながら言った。
結局あの後、買って返すといったのだが、パティシエは今ケーキが売れなくて店をたたんでいる状態だった。それでもいやだと言い張ったのだが、結局どうしても必要な時にパートで一回一時間までということにごり押しされた。
「泣くなよ、莫迦。そんなに嫌なら無視すれば良かっただろ?」
「泣いてねぇよ? これはあれだ晋ちゃんのお膝に甘えてるんでーす」
すんすんと言いながら、にっくきムースを恨めしく見た。もうあれだな。こうなったらちゃんと腹におさめなければ気が済まない。
「毒を食らわば皿までだ。晋ちゃんこれでケーキプレ」
イ、と言いかけた銀時の顔をぱしんと軽く手で押さえると高杉は先ほどのフォークを取り上げた。
「んなことよりおめー、夢だったんだろ?」
こっちが先だろ、と綺麗にむかれたオレンジを突き刺すと、そのまま銀時に差し出した。
もちろん、銀時は大きく口を開けた。
オレンジが口の中で弾ける。
「晋ちゃん、愛してる」
相好を崩しながら、銀時は言った。気恥ずかしいのか、高杉はまた無言でぐさっとフォークを突き刺した。
新八からは心づくしの好物ばかりの昼ご飯。神楽からは酢昆布をもらった。神楽にしてはこれは破格の厚遇らしい。ものすごく恩に着せられた。
まあ、そんなにいうなら覚えてろよ、と思う。新八や銀時の返しはともかく、心に期する物があって高杉はありがとうよ、と言いながら心の中でくくくと笑う。
うっかり表情に出して感づかれるといけないので、そこは鉄壁の鉄面皮を維持しつつ高杉は目にもの見せてやるとかましてやる気満々だった。
これが銀時だったら、思いっきり腹黒く分かりやすく企んだ顔をしてやるのだが。
それを見た来島は晋助さまは女子供に甘いっすとか言っていた。
来島は、江戸風鈴を持ってきて、窓辺に飾った。空調が利いている室内で窓を開けることはないが、夜になったら夜風でもいれようか。下げられたばかりの金魚がゆらゆらと揺れて、高杉は目を細めてそれを見た。
「本当は本物がいいと思ったんすけど」
と高杉が喜んでいるのが分かったのか、来島はほんのりと照れながらいった。
「いや、これがいい」
数年ともに過ごしたから来島もそれなりに高杉の嗜好を把握している。夏には金魚だ。だが高杉にはどうせ世話ができない。だから風鈴でちょうどいいのだ。
来島と一緒にやってきた武市は無聊の慰めに碁盤を持って来て一局打っていった。似蔵は切子の杯、白石からは着物、他にも連名で将棋盤や茶道具、花池の彫られた硯などが持ち込まれた。
これ着た高杉に会いたいとか、また一緒に遊んでね、とかお手紙下さいねとか、一緒に呑みましょうやということだろうと思いながらそれぞれ受け取った。
万事屋に連れてこられた時もいつの間にか箪笥二竿がおかれていたが、これでますます和室のほとんどが高杉のもので浸食されてしまうだろう。
家主の銀時は約束通り酒を用意していた。
「えー、それで呑むのぉ?」
と嫉妬まじりにいっていたが、目の見えない似蔵が折角一つ一つ手に取って選んだのだ。赤い切子は細工が細かくてうつくしい。使ってやってもいいだろうと高杉は頷いて酌をさせた。
まさか銀時侍らせて酌をさせられるなんて思ってもみなかったな、と一杯。
久しぶりの酒は水のようにするりと喉を通り、しかし相当張ったのだろう。辛口の冷やはすっと特有の香りをとともにかっと胃をやいた。
「うまい」
「はいはい、一気に呑むと廻るよ。ほら、ぱっつぁんが作った飯もあるしね」
「おまえは俺の母親か」
「あ〜、今度挨拶いかないとねー」
そういわれてにぎった箸を取り落としそうになった。
「ヅラが作ったとか言う墓も見ときてーし。おたくのおぼっちゃまいただきましたってさ」
誰が行くかと思いながらそのまま高杉はざるそばに冷やをふりかけ、ずるっといった。
蕎麦といえば桂だが高杉も蕎麦は好きだ。米より喉の通りがいい。冷や麦よりも香りがいいし、特に夏場は蕎麦で生きているといっても過言ではない高杉だった。
箸休めにナスの煮浸しをつつきながら、もう一杯。
言われた通り、少しずつ口に含んでもう一杯。その三杯目でくらりとした。
「…?」
「高杉?」
酩酊を感じて眉を顰めた。心無しか、頬が熱い。雪火の症状に似ているが、あの病は再発はしない。だとしたら酒のせいか?
高杉はくらくらしながら手に持っていた切子を見る。
まさかもう、酔ったのか。
確かに病み上がりだが、それとこれとは関係がないはずだ。高杉はザルやワクの部類で、昔は駆けつけ三杯どころか、二升でも三升でもそれこそ水のように飲み干して、夜通し飲み明かすなんてしょっちゅうだった。
一晩で二十両、などいう武勇伝もざらな高杉だったのに。
「オイオイ真っ赤で可愛いな。酔っちゃった?」
「そんなわけ…」
そういう高杉に銀時が水を差し出した。
「しょうがねぇよ。お前肝臓切ってるから」
そういえばそうだった。
内蔵のあちこちから出血しまくっていた時期に肝臓の一部を切除したのだった。多臓器不全まで起こしていたから高杉の体力が保たなかったらそのまま死んでいただろう。薬が効いて、免疫システムが回復してもしばらくは危なかったらしい。
「折角だけどこれくらいにしとこうぜ」
道理でちょっとだけ、ほんのちょっとだけだぜとかしつこいくらい言っていたはずだ。
「またそのうち続き呑ましてやっから」
「ほんとか?」
「まあ経過をみて。肝臓って切っても元に戻るらしいし」
それを聞いて少し安心する。一番酷かった肺は肺でズタボロだったらしく、もう一生吸うなとか銀時と医者に止められた。この家には煙草盆はおろか、煙管さえもない。この上酒も駄目なんて人生何を支えに生きろというのか。
「銀さんがいるじゃねーか」
「お前が酒のかわりになるかよ」
大体銀時に勝てるのなんか、酒量と頭の出来ぐらいしかなかったのに。むかつく。
「あら、心外よ。銀さん酒よりも全然晋ちゃんを気持ちよくできるけど」
「おい、」
折角銀時に貰った酒もたった三杯しか呑めず、そこはかとなく不機嫌になった高杉に距離を詰めながら銀時は言った。
「なあ、高杉。おれ、本当に受け取ってほしいもんは、他にあんだけどよぉ」
「なに…?」
首元をぱたぱたと仰ぎながらせめて酔いを醒まそうと水をのんでいた高杉の手を銀時がとる。
「知ってんだろ。いつになったら貰ってくれんだよ?」
「…ぎん、」
それはもしや、プレゼントのリクエストをとった時に言っていたアレか。俺の愛とか言う奴か。そんなん押し付けられても困る。確かにずっと一時期の中断はあったが、迷惑なくらいにずっと捧げられてきたものだったが。
高杉は見つめられた視線を外してうろうろと彷徨わせた。まだ今なら逃げられる。そう思っていた。
「ごちゃごちゃ考えてねーで腹ァ括れよ。好きなら好きでいいじゃんか。放置しねーで手ぇ伸ばせや」
俺だけ手を伸ばしてもそっちが掴んでくれなきゃ届かないこともある。そういうのはもうご免だと逃げる高杉を捕らえて赤い目が告げる。
「奥さん、俺をお前のもんにして?」
「お前にためには生きれない」
「生きてればそれでいい。俺の傍で」
圧に屈して高杉は頷かないわけにはいかなかった。まだ昼時だったのに。
ふざけんな。お前なんかとっくの昔っからおれのもんだろくらい言えば良かった。
というか、誕生日なのになんで銀時のお願いきかなきゃならなかったんだろう。
「いいじゃんか、酒の百倍は気持ちよかっただろ?」
とか言っていた銀時を高杉は叶う限りの力で殴っといた。
今日から名実共に嫁です。